2009年10月17日
魔法の黄色い靴
小学校5年生の頃から、僕はラジオをよく聴くようになっていた。ラジオから
流れてくる音楽に夢中になって聴いて、洋楽、邦楽と両方のヒットチャートを
毎週チェックしてはノートに書き込んでいた。
中学校に入学して間もない頃だったと思うが、福岡のラジオ番組のヒットチャートに、
全然知らないバンドの曲が1位になった。しかも不思議な事は、福岡で1位なのに
全国では全くチャートに入っていない。どの番組のチャートを聴いても入っていない。
「1位でなくてもせめてベストテンぐらいは入っているはずなのに。何なんだろう。」
その不思議な曲とは、チューリップの「魔法の黄色い靴」。
すぐに、当時勉強を教えてもらっていた福岡の西南学院大学に通う近所のお兄さんに
聞いてみた。「今、福岡で1位になっとる『魔法の黄色い靴』って知っとる?
チューリップっていうバンドが歌いようと。」
「知っとるよ。当たり前たい。西南の学生やった財津という人が作ったバンドで、
福岡ではNo1のバンドやった。プロになって東京に行ったんよ。そのデビュー曲が
その『魔法の黄色い靴』たい。良か歌やろうが。照和で見たけど、すごかったね。」
「照和って何?」
「福岡にある喫茶店やけど、歌えるステージがあって、そこでアマチュアの人達が
いっぱい歌いよる。」
「照和には行かれんかもしれんけど、KBCの番組で『歌え!若者』ていう番組が
あるから、聴いてみて。そこで唄いよる人達が出るけん聴けるよ。」
当時、福岡ではアマチュア・バンドを対象にしたラジオ番組が盛んで、その中でも、
「歌え!若者」は福岡の放送局KBCで日曜日の夜に放送されていて、オーデションなしで
誰でも出演することが出来る公開録音の番組であった。
早速聴いてみると、いろんなアマチュア(上手い人達もへたくそも)のバンドが
出ていておもしろかった。その日からず~とこの番組を毎週聴いていた。
この番組のお陰で洋楽や歌謡曲しか知らなかった僕はフォークソングというものを知り、
いろんなフォークソングの歌を聴くことになる。
特に、この番組や他の地元のラジオ番組でプロになる前やプロになったばかりで
まだ売れない頃の福岡のミュージシャン、またプロにならなかった人達をたくさん聴いた。
前出のチューリップ、当時からしゃべりが抜群の海援隊。「母に捧げるバラード」が
売れる前に聴いた時は、おかしくて、哀しくて、終わった時自然と涙を流していた。
アマチュアの頃は、一人で歌っていた甲斐よしひろ。あの頃からず~とファンである。
「ご案内」でプロデビューした伊豆丸姉妹のウイッシュ。プロにならなかった
妙安寺ファミリーバンド等々、まだ他にもたくさんいました。
そして、ラジオから聴こえてくる大学生のお兄さん、お姉さんの歌声が、それまで
ブラウン管の向こうの夢の世界であった歌の世界を身近なものにしてくれた。
財津和夫も武田鉄矢も甲斐よしひろもみんな若く、大きな夢を抱いていた
70年代の初めの頃の話しである。
チューリップ 「魔法の黄色い靴」
流れてくる音楽に夢中になって聴いて、洋楽、邦楽と両方のヒットチャートを
毎週チェックしてはノートに書き込んでいた。
中学校に入学して間もない頃だったと思うが、福岡のラジオ番組のヒットチャートに、
全然知らないバンドの曲が1位になった。しかも不思議な事は、福岡で1位なのに
全国では全くチャートに入っていない。どの番組のチャートを聴いても入っていない。
「1位でなくてもせめてベストテンぐらいは入っているはずなのに。何なんだろう。」
その不思議な曲とは、チューリップの「魔法の黄色い靴」。
すぐに、当時勉強を教えてもらっていた福岡の西南学院大学に通う近所のお兄さんに
聞いてみた。「今、福岡で1位になっとる『魔法の黄色い靴』って知っとる?
チューリップっていうバンドが歌いようと。」
「知っとるよ。当たり前たい。西南の学生やった財津という人が作ったバンドで、
福岡ではNo1のバンドやった。プロになって東京に行ったんよ。そのデビュー曲が
その『魔法の黄色い靴』たい。良か歌やろうが。照和で見たけど、すごかったね。」
「照和って何?」
「福岡にある喫茶店やけど、歌えるステージがあって、そこでアマチュアの人達が
いっぱい歌いよる。」
「照和には行かれんかもしれんけど、KBCの番組で『歌え!若者』ていう番組が
あるから、聴いてみて。そこで唄いよる人達が出るけん聴けるよ。」
当時、福岡ではアマチュア・バンドを対象にしたラジオ番組が盛んで、その中でも、
「歌え!若者」は福岡の放送局KBCで日曜日の夜に放送されていて、オーデションなしで
誰でも出演することが出来る公開録音の番組であった。
早速聴いてみると、いろんなアマチュア(上手い人達もへたくそも)のバンドが
出ていておもしろかった。その日からず~とこの番組を毎週聴いていた。
この番組のお陰で洋楽や歌謡曲しか知らなかった僕はフォークソングというものを知り、
いろんなフォークソングの歌を聴くことになる。
特に、この番組や他の地元のラジオ番組でプロになる前やプロになったばかりで
まだ売れない頃の福岡のミュージシャン、またプロにならなかった人達をたくさん聴いた。
前出のチューリップ、当時からしゃべりが抜群の海援隊。「母に捧げるバラード」が
売れる前に聴いた時は、おかしくて、哀しくて、終わった時自然と涙を流していた。
アマチュアの頃は、一人で歌っていた甲斐よしひろ。あの頃からず~とファンである。
「ご案内」でプロデビューした伊豆丸姉妹のウイッシュ。プロにならなかった
妙安寺ファミリーバンド等々、まだ他にもたくさんいました。
そして、ラジオから聴こえてくる大学生のお兄さん、お姉さんの歌声が、それまで
ブラウン管の向こうの夢の世界であった歌の世界を身近なものにしてくれた。
財津和夫も武田鉄矢も甲斐よしひろもみんな若く、大きな夢を抱いていた
70年代の初めの頃の話しである。
チューリップ 「魔法の黄色い靴」
Posted by Hirao club at 12:02│Comments(6)
│音楽回顧録
この記事へのコメント
70年代。
洋楽を聴きまくってましたが、
日本の曲も聴いてました。
チューリップは『心の旅』が好きでした。
ウイッシュの『御案内』も好きでしたよ。
声がきれいで。
今、振り返ると、お姉さんって感じで、
大人っぽいですね。
声がきれいっていうと本田路津子。
『風がはこぶもの』にはうっとりでした。
洋楽を聴きまくってましたが、
日本の曲も聴いてました。
チューリップは『心の旅』が好きでした。
ウイッシュの『御案内』も好きでしたよ。
声がきれいで。
今、振り返ると、お姉さんって感じで、
大人っぽいですね。
声がきれいっていうと本田路津子。
『風がはこぶもの』にはうっとりでした。
Posted by 理乃 at 2009年10月18日 00:28
理乃さん、コメントありがとうございます。
この頃の人達はちょっと特別な思いがあります。
いつまでも大切にしたい曲ばかりです。
この頃の人達はちょっと特別な思いがあります。
いつまでも大切にしたい曲ばかりです。
Posted by Hirao Club at 2009年10月18日 01:23
こんにちは。
チューリップがデビューした頃は文化不毛の地?北九州で中学生だったので、燃えていた福岡が今思うと羨ましいですね。 「歌え!若者」も聴いたことがないので残念。 でもあの頃は熱い時代だったなと思います。
チューリップがデビューした頃は文化不毛の地?北九州で中学生だったので、燃えていた福岡が今思うと羨ましいですね。 「歌え!若者」も聴いたことがないので残念。 でもあの頃は熱い時代だったなと思います。
Posted by music70s at 2009年10月18日 13:24
こんにちは。コメントありがとうございます。
実は今回の記事、music70s さんの記事(チューリップ 心の旅)に触発されて書きました。また楽しみにしています。
実は今回の記事、music70s さんの記事(チューリップ 心の旅)に触発されて書きました。また楽しみにしています。
Posted by Hirao Club at 2009年10月18日 17:10
同じ時代に学生でしたので、西南や教育大の友人も多く、友達の友達くらいに必ずチューリップや海援隊、陽水がいたもんです。もちろん照和もよく行きましたが・・。「東京に行ってきます!」コンサートでエールを送ったのが懐かしく思い出されます。アランカのハズバンドでした。
Posted by アランカ at 2009年10月19日 22:26
コメントありがとうございます。
青春を彼らと一緒に過ごされたんですね。
「風の福岡」という歌はいいですね。
青春を彼らと一緒に過ごされたんですね。
「風の福岡」という歌はいいですね。
Posted by Hirao Club at 2009年10月20日 01:31