2010年02月18日
加藤和彦 「優雅の条件」
昨年10月急逝した加藤和彦。彼が遺した貴重なエッセイ集
「優雅の条件」を読んだ。
80年代、最も充実していた時期に生活の様々なことについて書かれた
本である。たとえばこんな項目、
自分のスタンダードを持たねばならない。これを持っていると
とても気持ちがいい。
自分のスタンダードというのは、自分の好みと思っても良いのだが、
好みといっても単にこれが好き、あれが嫌いということではなく、
好きでありなおかつ心地よいということである。 ・・・・・「自分のスタンダード」
優雅、もしくは優雅に見えるというのは生活を楽しんでいる人にだけ
与えられる特権みたいなものである。
生活を楽しむというのは、年中遊んでばかりいることではなく、仕事も
楽しみ、遊びも楽しみ、食事などももちろん楽しみ、すべてを自分の
意思でもって楽しむということだと思う。
遊ぶために働くという考え方もあろうが、これでは働くという部分が
楽しみではなくなってしまう。 ・・・・・「優雅の条件」
とても加藤和彦みたいには生きられないけど、自分なりに優雅に生きていけば
何か素敵なものに出会えるかもしれない。
どんな時でも無理せず、人生で何が大切かを考え、自分を見失うことなく、
自分らしく生きていけば。
「優雅の条件」を読んだ。
80年代、最も充実していた時期に生活の様々なことについて書かれた
本である。たとえばこんな項目、
自分のスタンダードを持たねばならない。これを持っていると
とても気持ちがいい。
自分のスタンダードというのは、自分の好みと思っても良いのだが、
好みといっても単にこれが好き、あれが嫌いということではなく、
好きでありなおかつ心地よいということである。 ・・・・・「自分のスタンダード」
優雅、もしくは優雅に見えるというのは生活を楽しんでいる人にだけ
与えられる特権みたいなものである。
生活を楽しむというのは、年中遊んでばかりいることではなく、仕事も
楽しみ、遊びも楽しみ、食事などももちろん楽しみ、すべてを自分の
意思でもって楽しむということだと思う。
遊ぶために働くという考え方もあろうが、これでは働くという部分が
楽しみではなくなってしまう。 ・・・・・「優雅の条件」
とても加藤和彦みたいには生きられないけど、自分なりに優雅に生きていけば
何か素敵なものに出会えるかもしれない。
どんな時でも無理せず、人生で何が大切かを考え、自分を見失うことなく、
自分らしく生きていけば。
Posted by Hirao club at 23:40│Comments(0)
│本